ネオリアリズム3

vassal_hiroです。
国際関係論シリーズ(?)も再開しますよ!!読む人は殆どいないとおもいますが(汗 前回のネオリアリズム2のエントリーはネオリアリズムの批判について書いたので、今回はネオリアリズムの評価について論じたいと思います。


そのまえに、ネオリアリズムの範囲を定義しておきたいと思います。クラシカル・リアリズムとネオリアリズムの違いは、国家の性質に着目をおくか、もしくは国際システムの構造に着目をおくかの違いです。ただし、ここで注意しておきたいのは、私が単にネオリアリズムということばを使用する場合、ネオリアリズムとはウォルツのリアリズムのことを意味しています。一方、ウォルツの理論を踏まえて発展させたウォルトやミアシャイマーらが主張する理論は、例えばディフェンシヴ・リアリズムであったり、オフェンシヴ・リアリズムであったりと別の名称を私は使用しています。
要するに、ネオリアリズムとはウォルツのリアリズムの理論として私は扱ってます。この点に注意していただければ幸いです。


さて、本題の(ウォルツの)ネオリアリズムの評価に入ります。バリー・ブザン(Barry Buzan)が指摘するように、ウォルツは、構造が国家の行動の全てを決定するという構造決定論者であると誤解されやすいです。ウォルツ自身が主張するように、国際システムの構造は国家の行動を完全に規定するのものではありません。ウォルツによると、

構造は原因となりうるものではあるが、唯一の原因ではない

ようです。つまるところ、国家の行動の制約として構造は機能するということです。

The Logic of Anarchy: Neorealism to Structural Realism (New Directions in World Politics)

The Logic of Anarchy: Neorealism to Structural Realism (New Directions in World Politics)

Theory of International Politics

Theory of International Politics


では、ウォルツのリアリズム(ネオリアリズム)はどう評価できるか、ということです。まず、ウォルツは国際システムという概念を厳密に議論することで、リアリズムをより科学的に、理論的に発展させることに貢献しているといえます。ウォルツは、クラシカルリアリズムの欠点であった人間性の前提やパワーに定義された国益観、政策決定者、そして国内政治から国際政治を分析することに対して批判的です。なぜなら、クラシカルリアリズムは国内の要素で、国際政治を説明しようとするため、還元主義に陥ってしまうからです。また、クラシカル・リアリズムは物質的、定量的に観測できる変数が少なく、いわば職人技(アート)であるといえます。一方、ウォルツの理論は、国家のおかれた環境(国際システム)を説明するため、文字通り「国際政治」の理論だといえます。また、ウォルツのネオリアリズムの分析には、物質的に観察できる経済力、軍事力から構築されています。このため、ブザンの言葉を借りるなら、ウォルツのネオリアリズムは社会科学としてリアリズムを復活させたのだといえます。

しかしながら、ウォルツのネオリアリズムは、理論的な簡潔性を求め独立変数を極めて少なくしたことで現実との乖離も存在しています。それに対してウォルト(注意:ウォルツ(Waltz)ではなく、ウォルト(Walt)ですよ!カタカタにすると非常に紛らわしい・・・)は国際システムの構造に対して変数を加えることで説明しています。

The Origins of Alliances (Cornell Studies in Security Affairs)

The Origins of Alliances (Cornell Studies in Security Affairs)

つまり、ウォルツが省いた要素を、後の理論家がリアリズムの理論に対して変数を付け加えていくための基礎を提供した側面も存在します。ブザンによるとネオリアリズムの功績を3つありますが、そのうちの一つはパワーポリティクスの論理構造の基礎を提供したことです。そのため、国際関係論の理論の出発点として、ネオリアリズムの理論史における貢献は決して小さくないと考えられます。


要するに、ネオリアリズムは、ネオリアリズムの登場以降の国際関係において、理論のたたき台、出発点として貢献しているということです。


次回の国際関係論シリーズは、ネオリアリズムの発展型であるディフェンシヴ・リアリズム及びオフェンシヴ・リアリズムについて書く予定です。