国際関係論の多義性

vassal_hiroです。


ふと思うのですが、このブログは一応国際関係論と戦略論、経営学やビジネススキルの
分野について書くという前フリがあったのですが、改めて振り返ると国際関係論に関する
記述が少ないことが分かります。
ちょうど本日、緊急性の高い課題がひと段落しました。
ということで、国際関係論について書こうと思います。


そもそも国際関係論とは・・・・(と書きたくなるのが私の文章の癖です)
と書くと長くなるので、簡単に言うと
「国際関係論(International Relations)は国際社会のあらゆる事象ついて説明を試みる学問分野」
だと思っていただいて構いません。ゆるい定義ではありますが、これには幾つか理由があります。


第一に、国際社会という言葉が何を意味するのかが分析する当事者によって違うということです。
つまり、ある人は国家に焦点を当てる一方で、別のある人は国際機関で国際関係を説明しようと
し、さらには個人の認識や文化的側面を考察の中心にすえることもあります。
要するに、分析のレベルの設定が人によって違うというころです。


第二に、たとえ分析するレベルが同一であっても分析する分野がことなることがあります。
一方では安全保障政策について考察し、一方では通商問題、あるいは武力紛争法(国際法)と
いった具合に、分析する分野が違います。


第三に、体系だった理論がないことです。
有力な理論体系はもちろんあります。大抵の人は現実主義(Realism)、リベラリズム(Liberalism)
そして構成主義(Constructivism)を国際関係論における理論として紹介することが多いですが、
言い換えるなら、一まとめになるようなグランドセオリーがないということです。
1つの学問分野においてグランドセオリーがないものは少ないのではないでしょうか。


他にも理由はあるかと思いますが、大まかに言えば以上の理由により、国際関係論は多義性を
帯びているというわけです。例を挙げるとするなら、国際関係論あるいは国際政治、安全保障論、
国際安全保障論のようなタイトルを付けている本同士を比較すると書いている内容が著しく異なる
ことがあります。というのも、「安全保障」と題した場合でも国家の安全保障なのか、国際社会の
安全保障なのか、はたまた開発問題も含めた個人の安全保障(いわゆる人間の安全保障)なのか
対象が異なることや、理論的バックグラウンドが異なるため結論も異なることなどザラです。


ようするに、国際関係論は扱う事柄が広すぎてばらばらというのが結論ですw


国際関係論を体系的に学ぶ「教科書」としてはこれでしょうか。
ジョセフ・ナイ国際紛争

国際紛争―理論と歴史

国際紛争―理論と歴史

国際政治史や理論など幅広く読めます。学部生の講義用のノートを下にして作られたそうです。
そういえば駐日大使になるかもしれないようですね、ナイ氏


国際関係論の理論の教科書ではこちらでしょうね。

国際関係理論 (勁草テキスト・セレクション)

国際関係理論 (勁草テキスト・セレクション)

主要理論はもとより、批判理論や国際政治経済までカバーしている優れもの。
最新の理論にも言及があります。(ネオクラシカルリアリズムNeoclassical Realismなど)
参考文献の参照もでき、まさに理論の教科書です。