ネオリアリズムの分派?

vassal_hiroです。
気温はもう夏のようです。


さてさて、前回のエントリーで、ウォルツのネオリアリズムの登場により、リアリズムの論理的な基礎ができたことを明らかにしました。そして、ネオリアリズムはウォルツの仮定や理論に対して変数を加えていくことで、幾つかの理論的な系譜に分けられるようになりました。今回は、そのネオリアリズムの分類について加工と思います。


ネオリアリズムの分派として捉えられる学派は大きく3つに分けられます。

1. ディフェンシヴ・リアリズム(defensive realism、防御的現実主義)
2. オフェンシヴ・リアリズム(offensive realism、攻撃的現実主義)
3. ネオクラシカル・リアリズム(Neoclassical Realism、新古典的現実主義)


ただし、これらリアリズムの分類は、必ずしも厳密な定義によって区分されたものとはいえないようです。例えば、バリー・ブザン(Barry Buzan)はネオリアリスト(もしくはストラクチュラル・リアリスト)に分類されることもあれば、イングリッシュ・スクール(English school、英国学派)に区分されることもあります。また、クリストファー・レイン(Christopher Layne)はディフェンシヴ・リアリストである一方で、ネオクラシカル・リアリズムの理論を元にした分析も行っています。


他にも、ディフェンシヴ・リアリズムとオフェンシヴ・リアリズムは議論の方法次第では、ネオクラシカル・リアリズムの区分に入ることがあります。例えばトーマス・クリステンセン(Thomas J. Christensen)やジャック・スナイダー(Jack Snyder)らは、彼らの国際システムや国内政治の扱い方から、著作によってはディフェンシヴ・リアリストやネオクラシカル・リアリストに分類されてます。同様に、ランドール・シュウェラー(Randall L. Schweller)やファリード・ザカリア(Fareed Zakaria)らは、分析の方法論からオフェンシヴ・リアリスト、あるいはネオクラシカル・リアリストと分類することが可能です。どういうことなのかというと、シュウェラーとザカリアはディフェンシヴ・リアリストに比べるとアナーキーを厳しい環境であると想定しているからです。こういった分類の問題が生じる理由は、ネオクラシカル・リアリズムが国際システムと国内政治の双方を理論の射程に含んでいるからだと考えられます。


ネオリアリズムとクラシカルリアリズムの2つの軸を使い、これらの組合せによりネオクラシカル・リアリストを区分することもあるようです。つまり、まず国際システムに対してディフェンシヴ・リアリズムなのかオフェンシヴ・リアリズムなのかで区分して、次に国内要因の分析に関して、ウォルツの第一イメージに相当する政策決定者を中心にするのか、第二イメージの国内政治に焦点をあてるのかによりさらに区分します。ようするに、ネオクラシカルリアリズムはこれらの組合せにより4つの区分が存在するということです。


しかしながら、後に議論しますが、ディフェンシヴ・リアリズムとネオクラシカル・リアリズムでは論理的構造が異なるので、これらを同一に扱うことで議論を複雑にしてしまうおそれがあります。具体的には、ディフェンシヴ・リアリズムとネオクラシカル・リアリズムでは、独立変数の設定の方法や、変数の相関関係が異なります。ですので、私はネオクラシカル・リアリズムとディフェンシヴ・リアリズムを明確に区別しています。同様に、オフェンシヴ・リアリズムとネオクラシカル・リアリズムも区別していますので、この点に注意してみていただけると幸いです。


今回は単に分類の話でしたが、次回はそれぞれの具体的な内容に入りたいと思います。
では