オフェンシヴ・リアリズム(後編)

vassal_hiroです。六月も半ばに入ろうかとしていますが、なかなか梅雨入りしないものですね。雑談はさておき、前回のオフェンシヴ・リアリズムを積み残してましたので、ここらあたりで消化します。


ミアシャイマーが体系化したオフェンシヴリアリズムの評価ですが、まず肯定的にとらえると、ミアシャイマーの理論では国家が持つパワーについての測定に関して深い議論を展開していることです。例えば、ミアシャイマーによると、パワーを2つに分類されます。つまり、軍事的潜在力軍事力の違いを議論し、パワーは軍事力と人口、そして経済力から構成されると主張してます。さらに、ミアシャイマーは軍事力と人口、軍事力と経済に関する考察が少なくないです。このため、オフェンシヴ・リアリズムを支持しない立場であっても、ミアシャイマーのパワー分析は国際システムの分析、とりわけ国家のもつパワーに関して参考になる側面があることは否定できないであろうと考えられます。しかしながら、オフェンシヴ・リアリズムは軍事的なパワーを強調しすぎているだけでなく、国際システムの捉え方も悲観的過ぎることは否定できないです。
また、ミアシャイマーの理論では、ユニットの内部が重視されていません。何故なら、ミアシャイマーの理論では、国際システムの力が国家に対して強く働くと仮定しているからです。つまり、オフェンシヴ・リアリズムでは、国内政治や個人の考えを考慮しないことで、国家をビリヤードの玉の様に想定しているということです。このため、オフェンシヴ・リアリズムは国際システムから国家の行動の説明を試みる理論であるため、個個の国家の行動全てが説明できないことは否定できないという欠点があります。
この点に関しては、ミアシャイマー自身も認めています。つまり、国際システム以外の要素が国家の行動を決めてしまうことがあるということです。このため、構造以外の要因が国家の対外政策を左右するケースを議論する場合には、別の理論が必要になってきます。



ここまで国際関係論のリアリズムが如何にして発展してきたかについてざっと議論してきたわけですが、次回からその発展形態、というか発展途中のネオクラシカル・リアリズムに突入します。

では。