ネオクラシカル・リアリズム3

vassal_hiroです。
同日に2度更新することはめったにないのですが、前回のエントリーが長くなってしまったので分割してます。

そういえば、砕けた文長でメールなどを書く際に、文末についつい「ではでは」と書くことが結構あるんですが、どうやら意外と「ではでは」を使う人が多いようですね。はてなのキーワードにもなぜか登録されてます。皆さんもぜひ使いましょうw


雑談はさておき。
ネオクラシカル・リアリズムの続きですよ!!
今回はネオクラシカル・リアリズムの論理構造について書きます。


先ほど紹介したローズによると、ネオクラシカル・リアリズムとは、クラシカル・リアリストの思想から得られる洞察を修正、体系化し、対外的な変数と国内的な変数の両方を取り入れていることを試みたものだそうです。つまり、クラシカル・リアリズムは国内変数で、またネオリアリズムは国際システムで国際政治を説明することを試みるアプローチであるのに対し、ネオクラシカル・リアリズムはその両方を含む理論となっている。この点に関しては、ディフェンシヴ・リアリズムも両方の変数を考慮していますが、ネオクラシカル・リアリズムとディフェンシヴ・リアリズムでは、国際システムと国内政治の変数の相互関係に対する考え方が異なります。
まず、ローズによると、ネオクラシカル・リアリストたちは、国家の対外政策を決定付けるものは国際システム、とりわけ相対的な物質的能力が理論の出発点であると捉えます。つまり、ネオクラシカル・リアリズムの理論では、ユニットレベル(国内政治、個人)ではなく、あくまでも国際システムが独立変数として扱われているのですね。一方、クラシカル・リアリズムでは独立変数は国際システムではなく、国内政治の変数を独立変数として設定されています。よって、ネオクラシカル・リアリズムとクラシカル・リアリズムは論理の出発点が異なるといえます。
しかしながら、ネオクラシカル・リアリストたちは、国家の対外政策に対する国際システムの影響力は間接的であり複雑である、とみなす傾向にあります。何故なら、国際システムの変数は必ずユニットレベルにおける媒介変数を通じて翻訳(translate)されるからですね。つまり、ネオクラシカル・リアリストたちの理論では、独立変数は国際システムであって、国内政治あるいは個人の認識といったユニットレベルの変数は媒介変数ということになります。よって、ネオクラシカル・リアリストたちは、相対的な物質的パワーが国家の対外政策の基本的な要素を構成すると主張するが、物質的な能力が対外政策へ直接あるいは完全に変換されないと考えます。何故なら、対外政策の決定は実際の政治指導者やエリートたちによってなされるため、単純に相対的パワーの物理的な量が重要なのではなく、彼らの相対的パワーに対する認識が重要だからですね。このため、ネオクラシカル・リアリストたちは、ネオリアリズムの系譜にある構造を重視する理論家と、個人の認識や文化などを重視するコンストラクティヴィスとの中間の位置を占めていると考えられています。
一方、ネオリアリスト、オフェンシヴ・リアリストは国際システムの変数を中心に議論し、ディフェンシヴ・リアリストたちは国際システムと国内政治の変数をそれぞれ独立変数として扱う傾向があります。このため、ネオクラシカル・リアリズムとネオリアリズム、オフェンシヴ・リアリズム、そしてディフェンシヴ・リアリズムとでは、論理構造が異なるといえます。


次回はネオクラシカル・リアリズムと国際システムについて書こうかと思います。
ではでは。