リアリズムの発展(完?)

vassal_hiroです。日曜の朝は、やっぱり「がっちりマンデー」ですよね!(?)
あの番組はなかなかいいですよ。毎週、儲かってる企業とそのビジネス・モデルを紹介してくれるので勉強になります。今朝はキッザニアでした。これは確かにいいコンセプトだと思いました。俺も行きてぇ!!!!www



さて、本日でようやく国際関係論のリアリズムの理論に関する考察を終えます。これまでの議論のまとめとなりますので、重複する記述もありますがごらんいただけると幸いです。

ネオクラシカル・リアリズムのアプローチを採用することで、従来のリアリズムの欠点を補うことが可能になります。クラシカル・リアリズムは人間の本性を理論の前提に置き、個人あるいは国内政治から国家の対外政策を説明しようとしますが、「火が燃えるから火事になるといっても何の説明にもならない」ように、理論の組み立て方に問題がありました。また、ネオリアリズムは国際システムで国際政治の説明を簡潔にすることを可能にしますが、特定の国家の対外政策を詳細に説明することが出来ないという欠点があります。ディフェンシヴ・リアリズムは国際システム、あるいは国内政治を独立変数に設定しており、クラシカル・リアリズムとネオリアリズムの欠点を補ってはいますが、特定の国家の説明に国際システムの分析とは別の形で国内政治を加えるため、後付の理論であるという批判は免れ得ない状況です。オフェンシヴ・リアリズムはウォルツのネオリアリズムと同様に、国際システムを中心に国家の行動を説明しますが、ミアシャイマー自身が指摘しているように、国際システム以外の要素が国家の行動を規定してしまうことがある点は見過ごせません。
ネオクラシカル・リアリズムはこれらの欠点を補う理論です。つまり、ネオクラシカル・リアリズムは国際システムを独立変数に置くことで、クラシカル・リアリズムの欠陥として考えられている還元主義や循環する論理を回避しています。さらに、ネオクラシカル・リアリズムは、ネオリアリズムあるいはオフェンシヴ・リアリズムとは異なり、国内政治や個人の要素を媒介変数として理論に導入することで、国家の対外政策に対してネオリアリズムよりも詳細な記述が可能になります。また、ディフェンシヴ・リアリズムの欠点である国際システムと個人・国内要素の変数の位置づけに関しても、ネオクラシカル・リアリズムは国際システムを独立変数、個人あるいは国内要素を媒介変数と設定することで、変数の相関関係を明らかにしています。
ネオクラシカル・リアリズムが注目された理由は、特定の国家の対外政策や大戦略、戦争についての詳細な説明することが可能だからです。構造的から国際政治の説明を試みるウォルツのネオリアリズムは、対外政策や特定の歴史的な出来事の説明する理論ではありませんでした。このため、従来のリアリズムでは国家の対外政策や大戦略について説明することが困難でした。一方、ネオクラシカル・リアリズムは、国際システムを説明するような「国際政治の理論」ではなく、特定の国家の対外政策や個別の歴史的事情を説明するために構築された理論です。このため、ネオクラシカル・リアリズムは国家の行動に対する説明できる範囲が広いわけですね。
ネオクラシカル・リアリズムでは国際システムのパワー分布が独立変数です。そして、この独立変数を理論の従属変数である国家の対外政策へ翻訳する媒介変数こそが、国内政治あるいは個人の認識であるという点が際立った特徴です。この論理構造はネオクラシカルリアリストたちに共通する点です。しかし、ネオクラシカル・リアリストたちの媒介変数を如何に設定するのかは議論の分かれるところではあります。ただし、彼らの媒介変数の違いは互いに矛盾するものではありません。何故なら、国内政治や個人の認識は数多の要因の影響を受けるからです。つまり、ネオクラシカル・リアリストたちが挙げた媒介変数の要素は、数ある国内政治あるいは個人の要素のなかからいくつか拾い上げたと考えられるからです。ということは、ネオクラシカル・リアリズムは媒介変数の選択次第で説明できる範囲や対象を変えることが可能になるという利点が存在するといえます。
一方で、ネオクラシカル・リアリズムは、ネオリアリズムの利点として指摘される理論の簡潔性を犠牲にしていることは否めません。つまり、ネオクラシカル・リアリズムは理論の変数を増やすことで説明の幅を広げる試みでありますが、その代償として少ない変数で説明できる能力を捨て去ってしまいました。このため、理論をもとに未来を予測し処方箋を提示することが難しくなる可能性は否定できません。何故なら、国内政治や個人の認識はパワー分布に比べ正確な分析が難しからです。ネオリアリズムはパワー分のみで説明するため、理論的分析から得られる処方箋も容易でした。しかし、ネオクラシカル・リアリズムは国内政治や認識の変数を把握しなければ、予測や処方箋を提示することは理論上できません。ゆえに、ネオクラシカル・リアリズムは、特定の国家の対外政策や大戦略を分析し説明することに秀でているが、ネオクラシカル・リアリズムによる予測や処方箋に関する能力はネオリアリズムに劣っていると考えられます。つまり、ネオクラシカル・リアリズムは詳細な説明能力を獲得するかわりに、理論をもとにした予測、処方箋を提示する能力を捨て去ってしまったのではないでしょうか。この点が、ネオクラシカル・リアリズムの大きな欠点であると考えられます。



さて、次回からは別のシリーズ(?)を再開します。
ではでは。